広島平和記念資料館
懐中時計
二川 一夫氏
二川謙吾さん(当時59歳)は、市の中心部へ建物疎開作業に向かう途中、被爆しました。右肩から背中、頭部に大火傷を負い、8月22日に死亡しました。この時計は息子から贈られたもので、肌身離さず持ち歩いていました。</br></br>建物疎開 </br></br>
激化する都市への空襲に備え、火災の延焼を防ぐため、あらかじめ建物を取り壊し、防火地帯を作ること。8月6日のこの作業には、国民義勇隊や動員学徒が大規模に駆り出されたため、原爆により多くの犠牲者を生んだ。</br>